教会ラテン語

アシスタントのYちゃんは先日勉強のためドイツに。帰国後の一声は「やっぱり英語です!」出発前の涙ぐましい独語演習はいずこへ−でも言葉の大事さを実感した気持ちはよく伝わりました。

言葉の問題。知らない国の言葉をうたうとき「言葉の壁が・・・」といった声が資料室にも届きます。そんな時、ある日のM先生の言葉を思い出します。
「あれは壁じゃなくて、ドアを一つ開けて新しい部屋に入っていくような感覚で僕はとらえているんです」

ほんとうに、そう。大きくて重いドアも、ちいさな小窓のついた可愛らしい扉も、ノブ一つひねってみれば―そんなふうに音楽を通していろいろな言葉に触れてみたいですね。
そう思いつつも・・・ちょっと近づきがたいコトバの中に「ラテン語」をあげる人、多いようです。

今回の"散歩みち"はそんな「扉」をあけてみるつもりになれそうなラテン語の本。

ことばが使われてきた環境や歴史的背景を所々におりこみながら、三つの祈りのうた(Pater Noster, Ave maria, Gloria)を題材に基本の文法が丁寧に解説されています。
本文の所々でおもいがけず語られる映画のおはなしが難しくなりがちな内容をなごませてくれます。


「カトリック教会が地球上のどこにあっても、ミサに代表される典礼をラテン語で執り行っていた事実が、信徒に一体感を与えていたことは否定出来ません。

・・・しかし、このラテン語による一致には大きな欠陥がありました。

・・・ラテン語という言語は、実生活の中では使われなくなって久しい死語である上、それを必要とする聖職者以外の、カトリック教会の圧倒的多数を占める信徒にとっては、これを取り立てて勉強しない限り、ラテン語は意思疎通の道具として機能しない、いわば儀式用の言語としてしか機能していないという欠陥がありました。

・・・ラテン語から派生した諸言語(イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語)を話す人々や、ラテン語とは別系統とはいえ、その影響を多分に受けている英語やドイツ語を話す人々にとっても、改めて勉強しない限り、ラテン語はちんぷんかんぷんな言語なのです。

・・・日本で発行されているラテン語の文法書のほとんどすべては、近世のドイツや英国の学者の研究に基づいて書かれたものと言われています。
ということは、これらの文法書は主としていわゆる「古典ラテン語」、すなわちキリスト教暦紀元前一世紀のローマで華々しく活躍した政治家カトー(Cato)、雄弁家チチェロ(Cicero)、誰知らぬ者なきチェサル(Caesar)などの文章に範を採り、例を採っていて、カトリック教会に伝えられて来たラテン語(以下「教会ラテン語」とよぶことにします)は考慮されていません。

このことはラテン語の発音について著しく、例えば上に出て来た"Cicero"、"Caesar"は教会ラテン語ではチチェロ、チェサル、古典ラテン語ではキケロ、カエサルとなります。」

(以上本文「何故今ラテン語なのか」、「ラテン語の発音」より抜粋)


みちしるべ

「教会ラテン語への招き」 田淵文男 監修;江澤増雄 著 ‖ サンパウロ, 2002年(1,000円)


初出:「ハーモニー126号2004年」2003.10.10発行/copyright(c)2003.Junko
Photogragh copyright(c)2004.mamiko.k
Design copyright(c)2004.Misa



合唱センター (c)2004 All rights reserved.