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「部活動の地域移行」とは?

「部活動の地域移行」とはなにか、坂元勇仁さんによる会報ハーモニー202号(2022年10月号)の記事を転載します。

わたしの合唱部(部活動への思い)

「わたしの合唱部」 部活動への思いを募集中

 2023年度から公立中学校の部活動の地域移行が計画されています。全日本合唱連盟は、教員の働き方改革という目的を理解し、文化庁の「文化部活動の地域移行に関する検討会議」に役員が出席し意見を伝えてきました。また、地域移行対応プロジェクト委員会を中心に地域移行に対応する施策の検討を進めています。
 しかし、部活動が全て悪とみなされることには強く反対します。中学校であっても高校であっても合唱部活動は日本の合唱活動を広げてきた大きな柱の一つですし、さらに大事なことは多くの中学生・高校生がこれまでに部活動を通して合唱を楽しんできた事実があるからです。
 そこで委員会では、合唱部活動の思い出や部活動に対する思いを広く募集し、webに掲載することにいたしました。かつて中学校や高校の合唱部で活動してきた方はもちろん、今活動している方の投稿も歓迎です。顧問の方でも構いません。良い思い出ばかりではないかもしれませんが、それもまた結構です。あなたの「わたしの合唱部」をお寄せください。

 ◇字数は800字以内。
 ◇本名でも匿名でも構いません。
 ◇内容は一部修正する場合があります。
 ◇寄稿先/全日本合唱連盟 jca@jcanet.or.jp

文化部活動の地域移行に関する検討会議の内容はリンク先をご覧ください。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/sobunsai/chiiki_ikou/index.html

「私の合唱部」 2023年1月18日 掲載

大坂美紗子

  私の青春は、いつも「合唱」とともにありました。
 幼いころから歌うことが大好きだった私は、迷うことなく合唱部に入部。たまたま私が住んでいた地域は合唱が盛んで、朝練・放課後練はもちろん、夏休み集中練や他校との交流練習など、とても活動的でした。その後、中学・高校でも合唱部へ。ここでも3度全国大会に出場するなど、とても貴重な経験をさせていただきました。
 毎日、朝から晩までみんなと声を合わせて歌う日々。怒られて泣いて、悔しくて泣いて、汗でぐちゃぐちゃになった日々。それでも、歌うことが大好きな私はつらいと思ったことは一度もありません。音楽を通して3人の恩師と出会い、たくさんの大切な仲間もできました。とにかく身に起こるすべての出来事が楽しくて、嬉しくて、かけがえのない宝物でした。ハーモニーがピタッとハマったときの喜び、ホールに残る自分たちの残響に研ぎ澄まされた瞬間…様々なことが今も鮮明に思い出されます。
 学生時代の経験から、高校で本格的に声楽の勉強を始め、現在私はオペラを中心に舞台に立ち続けています。自分が音楽の道を歩む日が来るとは思いもしませんでしたが、あの体験があったからこそ、今の私があるのだと思います。
 昨今、部活動への世間の目が厳しくなってきていることは、ニュース等で耳にしています。様々な立場から、さまざまな意見があり、真剣に向き合わなければならない時代に来ているのだと思います。私に言えることがあるならば、部活動を通して得られるすべての経験は、教科書には載っていない、何物にも代えがたい学びと発見がたくさん詰まったものであるということです。
 最後に、わたしにとって「合唱」というものは、青春のすべてであり、人生の糧でもあります。純粋にひたむきに音楽と向き合った日々は、あの頃と変わらず、私の心の中でずっと輝き続けています。

「私と部活動」〜部活動の地域移行に思う〜 2023年1月13日 掲載

郡山市立郡山第一中学校教諭 小針智意子(全日本合唱連盟部活動の地域移行プロジェクト委員)

■1 はじめに
 「部活動の地域移行」という言葉が耳に入ってきた時から「まさか!?」とは思っていましたが、現実的なものになってきて、心を痛めていると同時に、未来に向けて何を残すか、何をしていかなければならないかを考えて実行に移していかなければならないと思っています。
 部活動はなくてはならないものです。部活動の経験から教員になった方も少なくありません。職員室で私の隣の席の先生は、一度は一般企業に勤めたものの、やはり部活動がやりたくて教員になったそうです。部活動、給食、清掃は日本の誇る文化だと思います。(今回は給食、清掃については触れません。)
 これを書き始めたのは甲子園の真只中でした。「青春って密なので。でも全国の高校生が苦しい中でもあきらめず、努力してきた。みんなに拍手してください。」仙台育英の監督の言葉に目頭を熱くした方も少なくないはず。部活動は期間限定の青春です。

■2 私の音楽との出会い 〜小・中学校編〜
 以前のハーモニーでも書きましたので、家庭の中での音楽との出会いについては割愛するとして、小学校5,6年生では合奏部でフルートを、中学校3年間は管弦楽部でオーボエを吹いていました。中学校でもフルートをと思っていましたが、管弦楽部に新しくオーボエが入るので、まだ小学6年生の私に白羽の矢が当たり、入学前の3月頃からリードを渡されてビービー音出しの練習をしていました。(2つ上に姉がいたのでほぼ強引に…)
 この小学校と中学校の顧問の先生のすごいのは、アコーディオンなどを入れていた合奏部を管弦楽部に、中学校では私の入学と同時に吹奏楽部から管弦楽部にと、その先生方が赴任してあっという間にオーケストラを作られたことです。お二人の先生は小学生だから、中学生だからという枠を越えて、音楽に真摯に向き合われていたのだと思います。私は子ながらに先生方に憧れを持ち、この頃から音楽の先生になりたい!と思っていたのです。

■3 教員になってからの部活動との出会い
 教員になって2校目の学校はマンモス校で、おかげで3人の音楽教員がいました。簡単に文章にすることなどできないくらい勉強になりました。そしてこの中にもいたのです!たった1年で吹奏楽部を管弦楽部にし、翌年の周年行事で全校生によるベートーヴェンの第9、4楽章を演奏するという教師が。部活動だけではなく、全校生でベートーヴェンに挑む。不可能だと思ったことができてしまったのです。
 教員としての在り方、特に音楽教師としての在り方、音楽へ向き合い方、音楽の突き詰め方、当時20代の私にとってすべてが新鮮で刺激的でした。
 平成3年、全日本合唱連盟中学校部門の試行期間が始まり、この学校で出場させていただいてから、今までずっと出場できていることはとても幸せなことだと思っています。いい時代でした。
 合唱連盟に加えていただいてから、私の合唱に対する取り組みは変わったように思います。それまでの中学校は中学校だけの横のつながりから、高校、一般の団体の方々、先生方との縦のつながりができ、勉強できる機会が増えました。更には他県の先生方との交流も貴重な経験でした。某コンクールをテレビで観ていてすごいなぁと思っていた先生に直にお会いすることができ、親しくお話しさせていただくなど夢のようなことでした。(コンクール会場で、当時白銀南中学校にいらした野村律子先生に、「なぜアカペラであんなにきれいに歌えるのですか?」などと質問してしまい、それなのに先生は丁寧にアドバイスしてくださいました。今思い出しても、恥ずかしいやらありがたいやら・・・)
 教員として部活動に関わってきて、生徒に対する考え方も変わりました。
 「地道な練習」「限界ラインを作らない」この2つだけを自分の軸としてやってきました。いずれも、今までの生徒達と関わって学ばされたことです。
 まったく音程が取れずに歌えない生徒が合唱部に入ってきました。なぜ合唱部を選んだのかを聞くと「音楽が好きで、歌が上手くなりたいから・・・」と答えました。納得です。素直にそう話した生徒の気持ちに応えてあげようと思いました。
 生徒の成長を目の当たりにし、限界ラインを自分で決めるのをやめようと思い、さらに生徒が見ている景色を変えてあげたいと思うようになりました。どこまで伸びるかは誰もわかりません。神様のみがご存じなのでしょう。  
 いろいろな生徒がいて、いろいろな保護者がいて、自分の力不足から苦労したことも悩んだこともたくさんあります。それでも辞めずに部活動を続けられたことは、目の前に頑張ろうとする中学生の姿があり、たくさんの方々の愛情あふれる応援があり、そして、中学校を卒業しても合唱を続け、高校生や大学生、一般の合唱団で生き生きと歌っている姿にいつも感動し、心を揺さぶられているからだと思います。
 私の中学校教員としての残りの時間は少なくなってきました。部活動は本当にいいものです。若い可能性の塊と、まばゆい成長の時間に関われることを幸せに思います。
 部活動で悩まれている若い先生方が、夢や希望をもって子供たちに接することができる教育の現場が戻ってくることを心から願っています。

「文化部活動の地域移行に関する検討会議」の提言(案)に対する意見書 掲載 2022年7月29日

「文化部活動の地域移行に関する検討会議」の提言(案)に対して意見書を提出しました。(2022年7月22日)
提言(案)や他の団体の意見書は文化庁のウェブサイトに掲載されています。